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<公式視察先一覧>
2002年
10月11日 ベトナム・ホーチミン
協伸ベトナム会社(労組委員長)・社会保険庁・バーチュー孤児院
10月14日 カンボジア・シェムリアップ
スナーダイ・クマエ孤児院・HIFUMI日本語教室
10月15日 カンボジア・プノンペン
渋井植林場(プレイクホー小学校)・ウナロム仏教学院
10月16日 ベトナム・ハノイ
ビナスターモーターズ労組・ハノイ西友労組
労福協結成30周年事業の一環として派遣された調査団は、田畑稔団長(連合神奈川副会長)をはじめ、各産別や福祉事業団体などから19名が参加。
インドシナ半島に位置する両国は、熱帯・亜熱帯(ハノイ市等)に属し、地域によっては米が年に3回も収穫でき、果物も庭先で獲れる農業国であるが、全般的にまだまだ発展途上段階で、市民の生活も決して豊かでなく、法律があっても守られなかったり、機械化の遅れなど、戦後間もなかったころの日本の情景と、同じような生活ぶりが多く見られました。
しかし、ベトナム戦争終結後最貧状態を脱したベトナムは、それを改革するために実行された市場経済の導入などを中心とした「ドイモイ政策」により、ホーチミンやハノイなどの主要都市の発展は著しいものがありました。
高層ビルや外国企業の宣伝・日本にもあるようなブティック・しゃれたレストランなども目につき、訪問した輸出加工区(外資系企業も進出している工業団地)の開発状況、社会保険庁との意見交換などを通して、同国が着実にエネルギッシュな変革を遂げている実態を率直に感じとることができました。
一方、ポル・ポト政権成立後内戦により悲惨な状態に陥ったカンボジアは、9年前の新生カンボジア王国誕生以来、ようやく経済状況や治安面も安定し、ベトナム同様着実に発展と復興への歩みを進めつつありました。
特に世界遺産に認定されているアンコール遺跡を中心とするシェムリアップ(首都プノンペンから焼く300キロ離れた州都)は、観光の拠点として設備の良い大きなホテルが続々と建設され、観光の町として大きく変貌をするであろう印象を受けました。
このことは、戦争で両親を無くしたり、生活が苦しく学校に行けない子供たちを引き取り、生活の面倒を見ながら学校に通わせているスナーダイ・クマエ孤児院の、メアス博子先生からの説明でも伺い知ることができました。
ここの孤児院では、子供たちが将来自立した生活ができることを考え「待遇のいいホテルやガイドなどの観光関連の職につけるよう母国語(クメール語)の他に、英語と日本語を教えている」との話を聞き、納得するとともに授業に特別参加して、子供たちに日本の歌や折り紙を教えるなどの有意義な交流も経験してきました。
また、プノンペンでは日本人の僧侶でありながら、内戦で亡くなった人々を供養をするうち、もっと違う形で現地の復興に協力しようと「植林や日本語学校を経営指導するかたわら、地雷で身体の一部を失った人たちへ、無償で手こぎ自転車を製作贈呈している」渋井住職の関係するプレイクホー小学校の校庭に、住宅建材として成長するコーキーの木(日本の松の木に似た材質に成長する)100本を35度近い炎天下のなか植樹をし、自然環境保護の観点からも現地で貢献してきました。
詳細は、視察報告書に譲りますが、発展途上国とはいえ私たちが今失いつつある家族の助けあいとか、勤勉さ・あるいは現地で復興に協力している日本人の姿など、あらためて考えさせられた今回の視察でもありました。